自然を大事に
今日はクローズアップ現代で、外来種(ブラックバス)の扱いについてやってた。
つまりブラックバスをキャッチアンドリリースする人が多くなったから、
それによって珍しい魚や貴重な魚が食べられてしまう。
そういう被害を亡くす為にはどうすればいいか。
そういう話だった。
キャッチアンドリリースをやめるように問い掛ける(食べる人はあまりいない)
一つ池にブラックバスを集めて、そこだけで釣るようにする(といっても管理がむずい)
卵の状態で多数を殺す。
まぁキャッチアンドリリースが、「魚のため」だとか言ってるやつらもいたが、
つまりは持って帰るのが面倒なのだろう。
はっきりと言えばいいのに。
魚なんて人間よりも下の生物。
弄ばれるのは世の常だろう。
人間間でも見世物小屋なるものが存在するが、
それも人間同士での、上下関係があるからだと思う。
つまり自分の楽しみのために、魚に針を刺して楽しんでますってこった。
まぁ話は脱線したが、
問題はこの部分
>卵の状態で多数を殺す。
この方法に大きな疑問を持った。
貴重な魚を守るために、ありふれた魚を殺す。
これが自然を守ることなのだろうか?
これこそまさに人間のエゴなんじゃないだろうか?
一つの種類の絶滅を止めて一体どうするつもりなんだろう
絶滅を免れてなにか言い事でもあるのだろうか?
最近でもトキが絶滅するとかいって騒ぎになった。
俺は「そりゃしゃーないわな」と思ってみてた。
俺からしてみれば、たった一羽の鳥が死ぬだけ。
そんな事にマスコミやら、どっかの偉いさんやらが躍起になってる。
トキが絶滅しても、鳥はまだまだ絶滅しない。
鳥が絶滅しても、地球上の生物は絶滅しない。
また地球上の生物が絶滅しても、宇宙にはたくさんの生物がいるだろう。
それほどトキの絶滅が大事なことですか?
俺たちは人間。
鳥と人間との関係は、食べると言う事が大部分を占めるだろう。
もちろん人の心を癒すとかもあるだろうが、
それは人間の欲望の問題で生死には関係しない。
つまりは人間が食べていければいいんだ。
魚だってブラックバスがそれほど海の漁業を圧迫してるわけではない。
主は「貴重な魚」だ。
「貴重な魚」な魚が本当に貴重なのか、考えてみるのもおもしろいのではないだろうか?